第2回  ギターの魅力

 

 さて、ギターの魅力はどこにあるかと問われて、あなたは何と答えるだろか。クラシックギターの巨匠、故アンドレス・セゴビアはアメリカでのインタビューにこう答えている。「ギターは音色が一番大切」と。

だが、昨今のギター界において熱心に求められているのは、むしろ「ギターの音量」であるように思われる。セゴビアによって、ギターは芸術としての立場を獲得し、世界中でギターのみによるコンサートが大きな会場で演奏されるようなった。会場にふさわしい「音量」が求められるようになったのは、ある意味仕方のないことかもしれない。

 

 しかし、と思うのである。昔、セゴビアの門下生や優れた演奏家の来日のテージにおいて鳥肌が立つほどの感銘を受けた演奏はすべて、初めは音が聴こえないほど小さいものであった。じっと聴いているうちに、ギターのボディーの奥からまるで手品のように湧き出てくる音の泉が心を捕え、次第に体ごと引き寄せられ魂までも持っていかれるような経験をした。それは、耳を澄ませ、心を澄ませて聴かねば感じることのできない世界であった。

そもそもギターはサロンの楽器である。大きな会場で演奏することが求められる場合は、マイクをうまく使うという手がある。ギターそのものに「音量」を求めること自体が無理な話で、ギターがかわいそうになる。

 

 セゴビアはまた、「ギターの音量やバランスはほどほどでよい。」とも言切っているし、イギリスの名手J.ブリームに対して、「現在ギター製作家はより音量の大きなギターを作ろうとしています。演奏者が大きな会場に対応できる楽器を求めているからですが、マエストロはこのような現象をどうお考えですか?」という質問に「そのとおりだ。でもそうしたギターは厚かましいくうるさいだけの楽器だよ。そういう楽器の音は歪んでしまっている。聴き手のハートに届くのは焦点がきちんと定まった音だというのに。」と答えています。

ついでにスペインの名工ホセ・ラミレスⅢ世の言葉も紹介しよう。「ギタリストは、どんなときでも力んではならない。むしろ音質に注意して弾くべきで、実際に遠くに達する音は、そのような力みのない音である。ギターは基本的に近くで楽しむ楽器であることを忘れてはいけない。」と。

世界の名手、名工は、口をそろえて大き過ぎる音を否定している。

 

 数年前になるが、あるピアノコンクールにおける「盲目のピアニスト辻井伸行氏」への審査員評が今も心に残っている。「最近はむやみに大きな音で弾いり、必要以上に速く弾いたりする人が多い中で辻井君は決してそうではなかった。」と評している。私はこの言葉の意味することに大きな感銘を受けた。

日頃から私が思うことであったからではない。ギターに比べて、音量においては比べものにならない程のピアノであっても尚、「もっと大きな音が欲しい」思っていることに驚いたのだ。ギターにおいてそれを求めてしまうというのは、無理もないということかもしれない。

 

 それでも私は言いたい。若い頃からギター遍歴を重ねてきた経験値によれば、強すぎるタッチや、程度を超えた音量を備えた楽器は、ギターの優れた魅力である美しい音色を損なってしまう。小さくても真に生きた音で、聴く人の心を引き寄せることにこそ力を注ぎ

たい。

                                               2014.11.01

                                                                                                   吉本光男