第3回 伴奏への気配りと音楽的表現
今月は「音楽的表現」についての話をしてみたいと思います。
先ず楽譜にそって正しく弾けること、この段階をないがしろにしていては新しい次の段階に上ることはできません。その意味で、暗譜は、最高の水先案内を担ってくれていると言っても過言ではないでしょう。
さて、「音楽的表現」です。ギターは「小さなオーケストラ」といわれるように、それ自身でいくつもの役割を演じながら音楽を創りあげていく素晴らしい楽器です。メロディーと伴奏が、縦糸と横糸のように紡ぎ出され、織りあげられ、次々に小さなサウンドホールから飛び出してくる時、私たちは、どちらかというとメロディーのほうに耳を傾けてしまいがちです。もちろん聴く側の立場で言うならば、それは当然のことで、美しいメロディーが魂を揺さぶるように思うのです。しかし、演奏者の側から言うならば、魂を揺さぶるほどの美しいメロディーの響きは、必ず、それを支える伴奏が生み出す命の産物にほかならないということを忘れてはいけません。極端な言い方をするならば、演奏とは、メロディーを支えている伴奏をいかに表現し切るかにかかわっているということでしょう。
また、「音楽的表現」は個性そのものです。私が50年以上にも亘って、せっせと取り込んできた先人たちの技や知恵、同時代を活躍する偉大な先輩たちのすばらしい演奏は、様々な形での私の演奏家としての血となり肉となっていますが、同時に、私を縛る窮屈な枠になっているのも事実です。自分自身の音楽を創っていくためには、この枠をはずすことがかなり重要になってきます。枠をはずした自分自身の演奏とはいかなるものであるのか。
それは、五分と五分の世界なのだろうという気がしています。つまり、演奏する前に、私はこのように表現したいというイメージ(枠組み)が五分、後は、演奏のなかでの瞬時のひらめきや素直な感情に身をまかせていけば良いということです。とらわれない自由な心は、自身の「音楽的表現」、つまり、個性的表現への最大の理解者です。
2014.12.01
吉本光男