第4回 音楽を考える
教室にある「現代ギター」誌を整理しているとき、表紙写真のアンドレス・セゴビアに目がとまった。1967年7月のNo.4とある。懐かしい写真に魅せられてぱらぱらとめくっていると、一番最初のページの「音楽を考える」という太字のフレーズが目に飛び込んできた。
つい3日程前、’’音楽ってなんだろうね’’、’’表現するってどういうことだろう’’という演奏者としての永遠の課題が話題となり知人とあれこれ音楽考に花を咲かせたばかりだったので、思わずページをめくる手がとまった。書き手は、山根銀二とある。48年にもなる前のものであるが、興味をそそられ読み始めた。当時読んだはずの記事を、初めて読む思いで一字一字丹念に読みながら、まさに「我が意を得たり」の心境であった。
2015.01.01
吉本光男
音楽は、心と心をつなぐ感性的行為
音楽であるためには、その音を鳴らしている人(作曲者も含めて)が自分の望む表現を込めた音のつながりとして、したがって何かの意味をあらわす音として鳴らしていることが必要である。そしてその人たちと、それを聴き取って受け止める者の間に一つの体験のつながりが創りだされ、それによって心と心が触れ合うのでなければならない。
そのような働きを中に込めた響きが、それを生み出す人と、受け止める人に両端を支えられて、そこに一つの心の橋がかけられたときに、そのとき、その響きは音楽なのである。・・・
いいかえると、音楽は人間の持つ感性的な行為そのものであり、生きた人間的な営みとして存在しているということになる。
山根銀二「音楽を考える」より抜粋