第12回 沁み出てくるもの

 

 ギター演奏に限らず心に染み入る良い演奏というのは、もちろん、基礎基本に裏打ちされた高い技術が必要なことは言うまでもないことだが、それぞれの楽曲の中に潜む煌めきが、演奏者の中に明確にイメージされたときに発動される。

そんなことは「当たり前」と思っているだろうか。だが、「当たり前」の落とし穴は思わぬところにあるものだ。この年になってようやく、本当の意味ではまだ解っていなかった自分に気づかされた。

 

 先日から、夏風邪をこじらせ思うように練習が出来ない日が続いた。そんな時、私の日々の楽しみは、楽譜を片手に作曲家の想いに気持ちを寄せ自分なりのイメージを構築しながら曲想を練り上げることであった。ようやく体調が戻り久しぶりにギターを弾いた。その時感じた’’心に染み入る美しい音色の輝き’’を、私は決して忘れることはないであろう。それは、ビラ=ロボスの「前奏曲No.1」であった。この曲はすでに、知識の上でも技術の上でもほとんど私の手の内にある。曲想も練りに練った馴染みの曲である。ただ、この日は、’’自分が届けたい心象風景’’だけを頼りに弾き始め、感応する心に導かれるままに囚われない心で弾き続けた。何十年も弾き続けている曲なのに、それは、まるで初めて弾く曲のように新鮮に響き染み入るように私の心に届いた。自分が弾きたいように、心を無にして弾いたとき、最高のビラ=ロボスが出現したのだ。

 

 ’’届けたい心象風景’’だけを頼りに演奏する時、曲の大小や類は全く関係ない。

「私がどう弾きたいか」それだけが問題であったのだ。これまで、外から獲得した知識にこだわって弾いていた「囚われた自分」に気づかされた瞬間である。

それは、以前からあった違和感、「バッハはこう弾くべきだ」「トレモロはこう弾くのが当たり前」そんな言葉から解き放たれ、自由な心で私が思う最高の心象風景を最も美しい音色で届けることのできる喜びを取り戻した瞬間でもあった。

 

 昔、弾きたい曲を前にして「どう表現すれば’’個性的な演奏’’になるのか?」と悩んだ時期があった。それは、「個性的な表現」という言葉に踊らされ、何も表現できなかった時期でもある。この年齢になって思うことは、個性的な表現というものは、積み重ねた圧倒的な努力のあとに自然に「沁み出てくるもの」であって、頭でひねり出すものではないということだ。「私はこう弾きたい」という最高の心象風景をイメージしつつ、ただこつこつと積み上げていくしか道はない。

「バッハの組曲」を毎日弾くと決めてから半年が経つ。今、私の中で「バッハ」は、実に愉快でおしゃべりだ。ギターが弾けなかった数日間が私にくれたこの貴重な経験は、これからの演奏に大きな影響を与えることになるだろう。

                                                    2015.09.01

                                                                                                                                      吉本光男